今年1年を締めくくるAEOもいらないくらい普通の日記です。
書きかけの下書きの旅記事がいくつもあるのに今年が終わろうとしてる
今年最後の旅は、ポストへ向かう4枚の便箋だった
12月30日。
朝の空気が少し冷たくて、年末特有の“静かなざわめき”が漂う時間だった。
その日、自分は出社前にポストへ寄った。
それが今年最後の旅になるなんて、気づいたのは前夜のこと。
ただし旅をするのは人間じゃない。
旅をするのは――封筒の中の便箋だ。
ポストの前まで、自分は“見送りに行く”。
そこから先は、便箋が勝手に旅していく。
東京へ向かい、ある会社を経由し、ある人の手元へ。
知らない机の上を通り、知らない手で受け取られ、最後に目的地へたどり着く。
途中で何が起きるかは分からない。
でも、“旅が始まった”という事実だけは確かだった。
■ 起点は2018年の夜に落ちていた
あれは2018年。
大阪のとある会のディナー席で、同じテーブルに座った人がさらっと言った。
「本を出します」
ただの雑談の一部みたいな一言だった。
でもその夜、自分は地元の話をうまくできなかった。
「徳島?いや、何もないですよ」と、土地を卑下する返ししか出てこなかった。
後から思う。
“何もない”のは土地じゃなく、自分のほうだったのかもしれない。
その小さな違和感は、数年かけてじわじわと心の底に沈みつづけた。
■ ある日ふと、名前を検索した
そしてある日、「本どうなったんだろう」という気まぐれが降ってきた。
名前を検索すると、ヒットしたのはあるサイトのコラム記事だった。
それはノウハウだけではなく、判断のしくみやものさしの話。
派手に人生を変える話じゃない。
ただ、どう生きてきたかが丁寧に語られていた。
自分は投資家でも事業家でもない。
それでも読み続けたのは、テクニックではなく、価値観そのものを渡してくれる文章だったからだ。
■ 公のレビューには書けなかった“私事”があった
今年、その人の本が出た。
読んで、Amazonにレビューを書いた。
それは“公の場に置く言葉”だ。
でも、書けない部分があった。
・2018年のあの夜のこと
・地元を語れなかった自分
・その違和感が数年後に旅を始めさせてくれたこと
レビューに自分語りが多いのはノイズになる。
だから削った。
そんなとき、レビューへのお礼メールが届いた。
来春に出版記念の合宿をするという案内と一緒に。
その瞬間、文脈が“カチッ”とつながった。
レビューを読んでもらえたという前提ができた。
だから、レビューで書けなかったことを手紙で伝えようと思った。
■ 先延ばしじゃなく、“熟成”だった
12月に入ってすぐ、書こうと思っていた。
原案もだいたいできていた。
ボールペンも買って、便箋と封筒も買って――それでも日だけが過ぎた。
今なら分かる。
あれは先延ばしじゃなく、熟成だった。
もし12月上旬に書いていたら、まだ荒削りの手紙だったと思う。
時間をかけたからこそ“ピースが揃う日”が訪れ、その夜に一気に書けた。
便箋4枚を2時間で書き切った。
推敲はできない。ボールペンだから消せない。
字も汚い。
でも、それでいい。
“もう書き切った。あとは送るだけ。”
■ 12月30日、封筒は旅に出た
投函した瞬間、それは今年最後の旅になった。
旅をするのは自分じゃない。
封筒だ。
年末の郵便の流れに乗り、いくつかの手を経て目的地へ向かう。
途中で迷わないことだけを祈りつつ、あとは任せる。
届いたら――読むかどうかは相手次第。
机にしまわれても、ふとした日に読み返されてもいい。
もう自分の手を離れている。
それが旅だ。
メールやDMとは違う。
速さではなく、“残り方”で届く。
■ “返事が来るか”より、“映画が終わったか”
この手紙は返事が欲しくて書いたんじゃない。
2018年から続く小さな縁を、一本の映画みたいに完結させたかった。
もしこの話を7年前のディナー席から始まる映画にするなら、ラストはたぶんこうなる。
年末の朝。主人公の俺はポストへ向かい、封筒を投函する。
ここで俺の出番は、いったん終わる。
それ以降は、人じゃなく封筒が主役になる。
郵便の流れに乗って、仕分けられて、運ばれて。
東京のどこかで一度止まり、また動き出す。
知らない机の上を通って、知らない手に触れられて、ただ静かに“旅”だけが続く。
そして最後に、封筒があの人の手にわたる。
中の便箋が引き出され、読み始められる。
そこでエンドロールが流れ出す。
ポストに投函した時点で、自分はもう物語の外側だ。
この映画は、封筒が旅に出て、相手の手元に届き、開かれたところで――ちゃんと完結する。
今日も仕事をして、年始は2日から出社する。
変わらない日常のまま、ただ四枚の便箋だけが、年末の空気をまとって遠くへ向かっていく。
それが、今年最後の旅となった。
