統計と印象のあいだにある、静かな違和感
最近、「未婚男性は67歳で死ぬ」といった刺激的な見出しを目にした。
この数字をもとに、
「恋をしない男は短命だ」「独身男性は年金がもらえず死ぬ」
そんな論調の記事や投稿が、SNSやまとめサイトで目立つようになっている。
けれども──
この手の話題に触れるたび、どうしても“構造的な違和感”が拭えない。
📌 この中央値が示す“67歳”の意味とは?
この「未婚男性は67歳で死ぬ」という話の根拠は──
「2020年に死亡した15歳以上の未婚男性の死亡年齢の中央値が67.2歳だった」という一点にある。
けれど、ここにはいくつか重要な前提がある。
- 集計対象は「15歳以上の未婚男性」すべて
- しかし、そもそも結婚が認められるのは18歳から
- 20代の既婚率はまだ2割強程度に過ぎない
- 若年層の事故死や自死なども含まれている
つまりこの中央値には、
「まだ結婚という選択肢が現実味を持たない層」や、
「一時的に未婚なだけの若者」まで含まれてしまっているのだ。
🌀 “生涯未婚”と“いま未婚”は、まったく違う
私たちが想像する「未婚男性=生涯独身」の像と、
統計上の「未婚男性(15歳以上)」の母集団は、かなり異なっている。
それにも関わらず、
未婚というラベルのもとに、年齢も境遇も異なる人々が一括りにされ、
そして「中央値」で語られてしまう。
……この構造こそが、私が最初に抱いた違和感の正体だった。
📝 数字は中立なようでいて、
その切り取り方ひとつで、まったく異なる物語を語ってしまう。
だからこそ、最初に出会ったこの“67歳”という言葉には、
少し慎重になって向き合いたくなるのだ。
💡 50歳以上でも「未婚」と「有配偶」の母数には大きな差がある
該当記事では、若年層の死亡が未婚の中央値を下げているという反論に応じる形で、
「50歳以上の死亡者に限定し、過去5年分の中央値を比較したデータ」が提示されていた。
50歳以上で若者を除いても、死亡中央値は
未婚で68.5歳、有配偶で81.2歳と50歳以上でも中央値の順位にさほど変動はなかった。
たしかに、このデータによって「若くして亡くなった未婚者の影響ではない」ことは明らかになる。
けれど──
ここでもうひとつ重要な視点がある。
それは、未婚と有配偶では“そもそもの人数に大きな差”があるという点だ。
📌 参考:2020年国勢調査によると、50歳時点での男性の生涯未婚率は28.3%
言い換えれば、7割以上の男性は50歳までに一度は結婚している。
つまり、50歳以上の死亡者を対象にしたとしても、
有配偶者側の母数は未婚男性の2〜3倍以上にのぼることが予想される。
これは、単に数字の大小という話ではない。
中央値(真ん中の値)という統計指標にとって、“母数”は非常に重要な土台となる。
人数が多ければ、それだけ中央値は安定しやすく、
逆に母数が少なければ、数名の短命な例が中央値を大きく押し下げる可能性もある。
──構造の偏りを無視した単純比較には、
見えにくい“数字の重みの違い”が潜んでいるということだ。
🧾補足として──
大和総研のコラムでは、「65歳以降」に限定した配偶関係別の平均死亡年齢が紹介されている。
それによれば、
・既婚男性:平均85.16歳
・未婚男性:平均81.79歳
確かにこの比較でも、未婚男性のほうがやや短命である傾向は見られる。
だが、その差は3.37年未満。
「未婚は早死に」「年金がもらえない」というほどの差異ではないようにも思える。
結婚の有無が直接の寿命要因かどうかは、こうした数字からだけでは読み解けない。
やはり──統計が示すのは“現象”であって、“因果”ではないという原則に立ち返るべきなのだろう。
🌀 統計上の「グループ」には、メンバーの質的な偏りがある
数字で比較される「未婚」と「有配偶」という2つのグループ。
母数の違いもさることながら
この2つは単に“結婚の有無”だけで分かれているわけではない。
それぞれが抱えている人々の健康状態・生活基盤・社会的条件は、まったく異なるものだ。
たとえば──
🟩 「未婚者グループ」には以下のような層が含まれている:
- 健康だが、自ら結婚を選ばなかった人
- 精神的な課題や発達特性により就労・結婚の機会が得にくかった人
- 若い頃から持病を抱え、働くこと・家庭を築くことが難しかった人
- 安定した職に就けず、継続的に選択肢が限られていた人
もちろん「未婚=弱者」では決してなく、実際に多様で主体的な生き方を選ぶ人も多い。
「未婚」という在り方自体に、価値の上下があるわけではない。
ただ、統計上の傾向として──医療的・経済的な理由によって制度や機会にアクセスしづらかった人々が、一定数含まれている可能性は否定できない。
一方──
🟦 「有配偶者グループ」に分類される人々には、いくつかの“前提条件”が備わっている場合が多い。
- 心身の健康をある程度維持していること
- 就労し、生活基盤を整えることができたこと
- 他者と家庭を築き、長期的な関係性を維持できること
──これらを満たしたうえで、結婚という制度にたどり着いた人々が、有配偶者グループに属する。
つまり、有配偶者グループは、統計的に見れば「一定の健康や社会的安定を得た人々がたどり着きやすい構造」となっている。
📌 喩えるなら──
これは単なるチームの比較ではない。
あたかも、健康や収入などの基準をクリアして選ばれた「代表チーム」と、誰でも参加できる「地域の幅広い層が集まったクラブチーム」を比べているようなもの。
それぞれの“グループの中身”の違い、そして母数の差を考慮せず中央値だけを比べるのは、
数字のもたらす印象を大きく歪めかねない。
もちろん有配偶者グループの中にも様々な困難を抱えた方もいる。
ただ、一般的に見てどちらのグループにそうした属性が多く含まれやすいか?
そうした偏在は、中央値に少なからず影響を与えている可能性がある。
大和総研が65歳以降のデータを出したのも
もしかすると、年老いて体力が衰えても健康である未婚層が多くなるラインということなのかもしれない。
🌱 「条件を揃えた比較」ができたなら──という仮説
これまで見てきた通り、「未婚者グループ」と「有配偶者グループ」には、
そもそも何倍もの母数の違い、構造的な前提条件の違いが存在する。
結婚に至れたという事実の裏には、健康・収入・人間関係など、
ある種の“選抜”が働いていることがうかがえる。
一方で、未婚者グループには、制度や機会そのものが届きにくい環境にあった人たち──
自ら望まなかったというよりも、社会的・身体的な事情によって、選択肢が限られていた人たちも含まれている。
それでもなお、私たちは統計として、この両者を“同列に比較してしまう”。
けれど、もし仮に──
📊 両グループから「定年まで働ける心身の健康状態を備えた人々」を、同数ずつ抽出できたとしたら?
そしてその上で、死亡年齢の中央値を比べることができたとしたら──
果たして、その結果はどうなるのだろうか?
未婚の選択が寿命を縮めるのか
結婚の有無が人生を左右するほどの影響を持つのか
それとも、元のコンディションによる差が主因なのか
……そんな問いが、静かに浮かび上がってくる。
もちろん、現時点でそうしたデータは存在しない。
誰かが長期的に調査し、精緻なモデルで検証しないかぎり、正確な答えは出せない。
けれど私は──
「条件が揃ったとき、未婚と既婚にどれほどの差があるのか」という問いには、
素朴ながらも、とても深い興味を感じている。
🪞数字は「語り方」でまったく違う顔をする
数字は、ただの事実ではない。
それが“どのように切り取られ、どんな言葉で語られるか”によって、
まったく違う意味を帯びてしまう。
「未婚男性は早死にする」という見出しも、
読みようによっては“生き方”や“価値観”の否定にも聞こえてしまう。
けれど本来、統計とはある現象の傾向を示すものであって、個人を断じるものではない。
その数字の裏には、
育った環境や、与えられた選択肢、健康状態や人間関係、
誰にも知られずに静かに積み重ねられてきた日々がある。
だから私は思うのだ。
たとえ「未婚者の中央値は短い」と言われても──
それが“どう語られているのか”を、見落としてはいけない。
📌 統計は鏡である。
現実を写す鏡であると同時に、
その鏡を掲げる「語り手」の姿勢や意図をも映し出す。
私たちはこれからも、
数字そのものではなく、数字が語る“構造”と“含まれうる背景”に目を向けていたい。
情報に流されることなく、自分の感覚で世界を見つめていたい。
そのためにこそ、少しだけ立ち止まって──
“なぜこの数字が語られているのか”を、静かに問いかけてみたいのだ。
